少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

熱風

長い間全く目を通していなかった本を手にとってぱらぱらめくってみる。書名と作者はナイショ。企業秘密。フシギなことにその本を初めて手にした時の感覚の残像みたいなものがなんだかリアルに蘇ってくる。あの時味わった、活字がページがキラキラと迫ってくるような感覚が今もある。なのに当時自分が何をしていたかとかどういう環境にあったかは全くといっていいほど憶えていないところが、なんだか私らしいなあと思う。

日本の最高気温の記録が更新されるような暑さがやっと一段落したという時になって、やっと、職場の障害者さんたち向けに熱中症への注意を書いたペーパーを作る。私の体調もイマイチだが、私の立場としてそんなことも言っていられない。なんだか核心を告げられないままの何かに否応なしに巻き込まれていくような最近。まあこれが組織の末端の者に課せられた大袈裟に言えば宿命なんだろう。そんなことにも慣れちゃったちょっとなんだかなあという自分がいる。

他人のワガママにはいはいと付き合ってみる。優しいお姉さんを演じてみる。世界をこじ開けるのに、そういう方法もぜったいアリだから。

止まない風となつかしさ

「なつかしい」っていうのが、よくわからない。なつかしいという感興というか。

誰かと話していて何か昔の話題になって「うわあ、なつかしい~」ってつい口にしたりするけど、その時の私のキモチはほんらいの「なつかしい」っていうコトバの意味とか用法とはずいぶんかけ離れているんじゃないか、でも相手はなつかしいと思っていて、私もそのなつかしさに同意を示すことがその場の空気を保つのに非常に有効であるのではないか、てな感じで、私はいつもこの「なつかしい」を使っている。つまり、ちょっと不本意なのだ。不本意ながら私はいつもなつかしい。その私が示すなつかしさは、言ってみれば人間関係における戦略的なつかしさかもしれない。

なんなんだろう。もしかしたら、誰しも私と同じようなその程度のことで「なつかしい」を使っているのかもしれないという考えが頭をよぎらないではないけれど、でもそうでもないらしくて、それは私の、過去と現在との関係をアタマにしまっておく仕組みの問題、ちょっとしたビョーキ、障害なんじゃないかとも思えて、たとえば職場の障害者さんに感じている一方的な親近感の由来のひとつかもしれない。

3日間止まない強風。南から暖かい空気が一気になだれ込んできて、まだ6月だというのに気象庁は記録的に早い梅雨明けを発表する。生きていくということは、いつもどっと押し寄せるほんのちょっと未来の風を体に重く受けながら左右の足を少しずつ前に進める作業なんだとしたら、生きるということはやっぱり苦行としか思えないなあ。

無菌室の日々

ワールドカップ、日本代表が決勝トーナメント出場を賭けてポーランドと戦う時間は日本時間で23時、翌日仕事だから寝なきゃと思って横になってもみるけどでもサッカーも気になって、でもうちにはテレビがないので時々スマホで得点を確認して、結局夜中の1時。そういえば夜中の1時を25時って言う言い方は、ラジオの深夜放送全盛期の頃からなんじゃないだろうか。日本代表が戦ってる裏でコロンビアが1点という絶妙な得点を挙げて、ポーランドのこれまた1点という絶妙な得点で日本が負けて、にもかかわらず決勝トーナメント出場を喜ぶ日本。なんかこう、ああ世の中というのはそういうものなんだなあという大人の世界のしきたりを垣間見た気がして、誰に何を言われようと私は私の人生を歩むしかないのだ。

そして私の人生の現在の局面。毎日が無菌室とばい菌がうじゃうじゃいる世界を行ったり来たり。人の言葉の、裏っていうのじゃなく違う位相から読み解いてみる、しかもどうやらこの違う位相っていうのが全く掴めない人には掴めないらしいという、私にとっては掴めないということがフシギなくらい明白な事柄なのになんで?どうして?っていう(もちろん私より読み解いくことに長けている人もたくさんいるに違いないが)、そういう解読を絶え間なくやるという、それが私の任務。任務であって、かつ、どこかでそもそも私が生きるということと限りなく一体化している、そんな感じ。

いつもいつも推敲なしでだらだら書いてるだけなので、何のこっちゃかもだけど、ごめんなさい。

スリーパーホールド

おばあちゃんの二十三回忌の法事だのおかあさんの施設入所のことだの、はたまた法務局の土地調査の立ち会いだのもろもろの用事をこなすため、三泊四日で郷里に戻る。

4日間の滞在中あいにく法事の当日だけすこし天気が悪くて、唯一の内孫のくせにおばあちゃんのお葬式に出なかった私としては、不徳のいたすところといった感じか。それでも食事会を初めて景勝地に建つパークホテルにしたのは、やっぱり大正解だったかもしれない。最後に集合写真を撮ったとき、叔母さんがここぞとばかりに「アンタが跡取りなんだから真ん中に来なさい」とか何とか言い始めて、私は叔母さんの後頭部を睨み返す。

何がどうということはないのに、今回の郷里はなんだかいつもに増して居心地が悪い。なんでだろう。父が亡くなる前は、ああ私には帰る場所なんてないのだ、いっそのこと知り合いを頼って四国にでも行きたいなあなんて思ってもいたのに、血というヤツはやっぱり人をがんじがらめにするもんなんたなあ、と思う。しかも、がんじがらめにされることが、それはそれでなんだか心地よい。

その日の夜だったか、私のほか誰もいない実家で寝ていたら、腕がすごく太い白人プロレスラーに首を締められる夢を見る。最初は苦しいと思っていたが、思いの外このレスラーが力を入れていないことに気づく。それでも外そうともがいていたら目が覚めて、気付いたら自分の腕をおかしな具合いに自分の首に巻き付けて寝ていて、柱時計を見たら夜中の1時半だった。

誰もいないと書いたが、それでも仏間がありしかも法事なんかをしたりしていると、亡くなった人と共に居るというかあの世と接しているんだなあ、という空気みたいなものを感じる。

翌日2カ所の施設にうちのおかあさんの入居希望を出してきたことを母方の叔父に話したら、叔父は、うちのおかあさんはそう長くはない気がするから覚悟だけはしておけ、と言う。私はこの叔父が大嫌いだ。

郷里とは難しいものだ。

新聞

ある朝上司が私に、良かったらコレ読んでみて、と新聞一枚を渡す。紙面一枚使った精神障害についての特集記事。障害者さん自身の、あるいは障害者さんと関わる人の手記がいくつか載っていて、その中に、精神障害者を奥さんに持つ旦那さんが書いたものがある。生活は大変だしならば離婚したら良いではないかと言う人もいるが、障害を持つ妻との暮らしは他の何にも代え難いものがあるという。

私は、あくまで私の一年半の仕事の中での経験からの一方的でつまらない思い入れと思われても構わないのだけれど、この旦那さんの言っていることがよくわかる気がする。

今の仕事をしながら、自分の中で少し変わったと思うことがある。それは、一日一日ていねいに生きるということの大切さを、この年齢にして実感としてわかったということ。そういう気づきの機会を日々与えられているという点では(あくまでもこの点においては、ということだが)、なんだか、得難い良い経験ができる非常に幸運な転職ができたんじゃないだろうかとも思う。

福祉の現場に携わっているということはさておき、私は私で、このこと、これから仕事で体験することを私自身の何かこころの蓄積にできなければ、私の人生において今の仕事は無意味なことに終わってしまうだろう。そして、こころの蓄積から育つ何かがあるとすれば、それが私のこれからのささやかでも表現だったり何か活動、今までライフワークのようにやってきたこと、関心事に繋がっていくものになるだろう。

今後の私に乞うご期待。五十半ばでこんなもしかしたら甘っちょろくも聞こえるかもしれないようなことを言ってる私が、それはそれでけっこう好き。

誰かに似てる

日曜日、実質的には今年唯一と言っていいかもしれない神輿担ぎ。そこの神輿の何やら役をやっている神輿仲間のお宅は一軒家、神輿の接待所にもなっていて、知人の奥さんは朝からばたばたと準備に余念がない。お招きいただいたやはり神輿仲間と連名でわずかばかりのお祝いを渡すと、彼はなにやら微妙にモダンな感じもする神棚に供える。

夜、神輿をおさめると、彼の家で宴会。恒例の舟盛りがでっかいテーブルの上にどーん。酒がある席で神輿歴25年の私でも叶わないような超ベテランが3人もいると、とにかく神輿の話題、話題、話題。アンタらはいい年してどうして神輿の話だけでこんなに盛り上がれるのか、と。この数年神輿熱が冷めている私は初めは遠巻きにふーんてな感じで聞いていたが、やっぱりめちゃめちゃ面白くてつい仲間に入って話しだす。ああもっと話したかった。

何だろう。こう、神輿って良くも悪くも江戸っ子の気風が強く作用しているという気がして、民俗への導入という意味で私の中ではすごく意味があって良い体験だったとは思うのだけど、今の私はもうちょっと繊細さを感じられるものにどんどん惹かれていく。参加するのじゃなく見るだけでも。神輿からのそういうシフトは私にとっては必然だという気がするのだけど、周りの人はおそらく誰も理解してはくれないんじゃないかな。

でもそれはそれとして、ここの神輿にはお招きいただける限りこれからもできるだけ参加して、この日を楽しみにして細々と神輿を続けていきたいと思う。十万人単位でギャラリーが集まるような大きなお祭りではない、小さなお祭り。今の私にはこういうところで毎年顔つなぎして年に一度しか会わない方たちと親交を温める方がずっとずっとステキに思えるもの。

ところでその神輿で拍子木を叩いていた方が誰かにすごーく似ているのになかなか思い出せない。顔立ちも特徴ある声もすごく似ていて超有名人なのだ。一緒に参加したエリちゃんに朝、神輿が上がる時にはあの人誰かに似てるよねと話して彼女もうんうん言って、一日中あの人ではないかこの人ではないかと彼女は芸能人の名前を挙げるのだけど、どうも違う。あ、そうだ、と思い出したのは翌日の朝で早速彼女に画像のあるサイトのリンク付きでメールするが、その有名人とは某日本人指揮者で彼女が知る由もない。「似てる!けどさすが文さん、マニアックだね」と返事が来たのはその日の夜で、似てるよりマニアックより私の名前は平仮名でふみなんだけど、知り合って10年、どうしていつも彼女は文と書いてよこすんだろう。でもそれはそれで何だか面白い気もするので違うとはまだ言っていない。

9カ月

この月末、私とほぼ同時期に入社した障害者さんが9カ月というヤマを越える(まあ正確に言うと事情はちょっと違っていて私の方が1カ月早いのだが、なぜ一緒と数えているのかも含めそれはさておき)。彼にとって入社9ケ月なら私にとってもそういうわけで約9カ月なのだが、その持つ意味はまるで違う。

人生何がどうなるかわからない。彼も私も。彼は障害者で障害者手帳のようなものを持ち、障害者枠で入社し、かたや私は健常者という枠で入社している。その差は大きいには違いないのだが、しかし彼と私を隔てている壁はそんなに強固なものではないと思っていて、どこかで私は、職場の他の健常者たちより彼らの方により私に近い、仲間のような意識を抱いている。これはもしかしたら私の勘違いとかある種の甘えとかであるのかもしれないが、やはり少なくとも私の中の事実であり、私がこの職場で9カ月続いた理由のひとつだと思う。

こと「性」というものについて他の人々とはものごころついた時から、そして今でもなにやら違う世界を生きているらしいし、半世紀生きてもそのことについてたぶんあまりはっきりとは理解できていない自分。私は私の世界を生きて私の世界からその外に広がる世界を眺め関わりを持つ。そのことじたいは、彼らとある意味大差ないのてはないかと思える。

だがしかし、彼らと私は違う。私と他人か違うという当たり前のこと以上に、違う。そして就労支援という役割で彼らとごく限定的な関わりを持つことが、言ってみれば私の今のなりわいだ。彼らのこれからの人生とか幸福というものについて私があれこれ悩むことは、どうやらおこがましいことらしい。

9カ月の彼に、仕事が9カ月続いたね、おめでとう、と言うべきなのかどうか。もちろん口に出しては言わないが、もしこの会社に就職せず、彼の幸福に近づくためのもっとよい道があったのかもしれないと考えると、私のやっていることは何なんだろうそれこそただの一企業の手先じゃないか、とも思える。

上司が遅い夏休暇を取って海外旅行に行ってきたとかで、休憩時間、職場のみんなにお土産を配る。どこにでもあるような他愛のないお菓子と、キーホルダー。キーホルダーは何種類かあって、早い者勝ちだから好きなのを選びなさいと言ってテーブルの上に並べる。なかなか選ぼうとしない障害者さんたちは私が先にひとつ選ぶと、みんにな笑顔でそれぞれ思い思いのを選ぶ。いつもは無口な9カ月の障害者さんが珍しく饒舌になり好きな画家の話をしだす。私はこの上司のことがあまり好きではないが、ありがとう、と思う。

自分の仕事にこれで良いのかと思い悩むというのはけして良い状態ではないのだろうが(つまり、職務を考え遂行する上でのコアな部分がしっかりできていないということだから)、悩んでいる自分、結局自分と戦ってしまっている自分が嫌いではないし、ある意味まっとうに職務をこなしているということなんじゃないかな(むしろ何ら疑問を持たなくなったらおしまいなんじゃないかとさえ思える)。甘いかもしれないけど。

明日で9カ月を過ぎて10カ月めに突入。