少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

新聞

ある朝上司が私に、良かったらコレ読んでみて、と新聞一枚を渡す。紙面一枚使った精神障害についての特集記事。障害者さん自身の、あるいは障害者さんと関わる人の手記がいくつか載っていて、その中に、精神障害者を奥さんに持つ旦那さんが書いたものがある。生活は大変だしならば離婚したら良いではないかと言う人もいるが、障害を持つ妻との暮らしは他の何にも代え難いものがあるという。

私は、あくまで私の一年半の仕事の中での経験からの一方的でつまらない思い入れと思われても構わないのだけれど、この旦那さんの言っていることがよくわかる気がする。

今の仕事をしながら、自分の中で少し変わったと思うことがある。それは、一日一日ていねいに生きるということの大切さを、この年齢にして実感としてわかったということ。そういう気づきの機会を日々与えられているという点では(あくまでもこの点においては、ということだが)、なんだか、得難い良い経験ができる非常に幸運な転職ができたんじゃないだろうかとも思う。

福祉の現場に携わっているということはさておき、私は私で、このこと、これから仕事で体験することを私自身の何かこころの蓄積にできなければ、私の人生において今の仕事は無意味なことに終わってしまうだろう。そして、こころの蓄積から育つ何かがあるとすれば、それが私のこれからのささやかでも表現だったり何か活動、今までライフワークのようにやってきたこと、関心事に繋がっていくものになるだろう。

今後の私に乞うご期待。五十半ばでこんなもしかしたら甘っちょろくも聞こえるかもしれないようなことを言ってる私が、それはそれでけっこう好き。