少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

盆カレー、あるいはちょっと盆ロス

お盆は亡くなったご先祖さんが年に一度帰って来る時期なのだそうだが、年に6回郷里に帰ってくる私と年に1回しか帰ってこないホトケサマ、どちらが優遇されどちらが接待を受けて然るべき立場かというと、やっぱりホトケサマ、こちらはいまだ現世で修行中の身でもあるしはじめから勝負はついている。

やはりお盆は大家族とは言わないまでも家族が核となって執り行う行事なんだなあとつくづく思うわけで、誰もいない実家に戻ってたったひとりでも恙なく済ませられるようには企図されていない。お盆の期間にアポなしで来る親戚と坊さんを待ちつつかつ他家にもお線香をあげにいくという、因果律を超越する如きウルトラCを叔母のチカラを借りてなんとか実現し、いまだ独身の従妹と話すことは死んだあと位牌をどうするかだったり、まあなんだかんだで郷里のお盆を堪能してきたということを、私はグダグダと遠回りしながら言いたいわけ。

年を重ねて、無限大との距離が少しずつ縮まっているんだなあ、と実感してみたものの、次の瞬間、やはり私はその無限大に全く近づく気配すらないちっちゃくてせせこましい私に引き戻される。

今年も盆カレーを作る。明日が送り火という日、もうすぐ東京に戻るしそろそろ冷蔵庫の食材の整理をせねば、と、ぶちこめるものはすべてぶちこんだようなお盆の残り物で作るカレー。せめてもの救いは盆カレーのために買ったブタコマ。3食も食べると飽きてしまい、夜東京に戻るという日に叔母におごってもらった妙にお高い海鮮ランチのホヤは、磯臭さが全くなくてぜんぜんホヤほやらしくない。

今年のお盆の白眉は、幼稚園に一緒に通った幼なじみに会ったこと、そしてカラオケで私が渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」を入れようとしたら従妹がまさにそのとき同じ曲を入れたこと。そしてなんだかあちこちで「こんなにきっちりお盆をやるのは両親への罪滅ぼしか?」と言われたこと。

明日はいつもより早く出勤しないと。