少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

止まない風となつかしさ

「なつかしい」っていうのが、よくわからない。なつかしいという感興というか。

誰かと話していて何か昔の話題になって「うわあ、なつかしい~」ってつい口にしたりするけど、その時の私のキモチはほんらいの「なつかしい」っていうコトバの意味とか用法とはずいぶんかけ離れているんじゃないか、でも相手はなつかしいと思っていて、私もそのなつかしさに同意を示すことがその場の空気を保つのに非常に有効であるのではないか、てな感じで、私はいつもこの「なつかしい」を使っている。つまり、ちょっと不本意なのだ。不本意ながら私はいつもなつかしい。その私が示すなつかしさは、言ってみれば人間関係における戦略的なつかしさかもしれない。

なんなんだろう。もしかしたら、誰しも私と同じようなその程度のことで「なつかしい」を使っているのかもしれないという考えが頭をよぎらないではないけれど、でもそうでもないらしくて、それは私の、過去と現在との関係をアタマにしまっておく仕組みの問題、ちょっとしたビョーキ、障害なんじゃないかとも思えて、たとえば職場の障害者さんに感じている一方的な親近感の由来のひとつかもしれない。

3日間止まない強風。南から暖かい空気が一気になだれ込んできて、まだ6月だというのに気象庁は記録的に早い梅雨明けを発表する。生きていくということは、いつもどっと押し寄せるほんのちょっと未来の風を体に重く受けながら左右の足を少しずつ前に進める作業なんだとしたら、生きるということはやっぱり苦行としか思えないなあ。