少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

9カ月

この月末、私とほぼ同時期に入社した障害者さんが9カ月というヤマを越える(まあ正確に言うと事情はちょっと違っていて私の方が1カ月早いのだが、なぜ一緒と数えているのかも含めそれはさておき)。彼にとって入社9ケ月なら私にとってもそういうわけで約9カ月なのだが、その持つ意味はまるで違う。

人生何がどうなるかわからない。彼も私も。彼は障害者で障害者手帳のようなものを持ち、障害者枠で入社し、かたや私は健常者という枠で入社している。その差は大きいには違いないのだが、しかし彼と私を隔てている壁はそんなに強固なものではないと思っていて、どこかで私は、職場の他の健常者たちより彼らの方により私に近い、仲間のような意識を抱いている。これはもしかしたら私の勘違いとかある種の甘えとかであるのかもしれないが、やはり少なくとも私の中の事実であり、私がこの職場で9カ月続いた理由のひとつだと思う。

こと「性」というものについて他の人々とはものごころついた時から、そして今でもなにやら違う世界を生きているらしいし、半世紀生きてもそのことについてたぶんあまりはっきりとは理解できていない自分。私は私の世界を生きて私の世界からその外に広がる世界を眺め関わりを持つ。そのことじたいは、彼らとある意味大差ないのてはないかと思える。

だがしかし、彼らと私は違う。私と他人か違うという当たり前のこと以上に、違う。そして就労支援という役割で彼らとごく限定的な関わりを持つことが、言ってみれば私の今のなりわいだ。彼らのこれからの人生とか幸福というものについて私があれこれ悩むことは、どうやらおこがましいことらしい。

9カ月の彼に、仕事が9カ月続いたね、おめでとう、と言うべきなのかどうか。もちろん口に出しては言わないが、もしこの会社に就職せず、彼の幸福に近づくためのもっとよい道があったのかもしれないと考えると、私のやっていることは何なんだろうそれこそただの一企業の手先じゃないか、とも思える。

上司が遅い夏休暇を取って海外旅行に行ってきたとかで、休憩時間、職場のみんなにお土産を配る。どこにでもあるような他愛のないお菓子と、キーホルダー。キーホルダーは何種類かあって、早い者勝ちだから好きなのを選びなさいと言ってテーブルの上に並べる。なかなか選ぼうとしない障害者さんたちは私が先にひとつ選ぶと、みんにな笑顔でそれぞれ思い思いのを選ぶ。いつもは無口な9カ月の障害者さんが珍しく饒舌になり好きな画家の話をしだす。私はこの上司のことがあまり好きではないが、ありがとう、と思う。

自分の仕事にこれで良いのかと思い悩むというのはけして良い状態ではないのだろうが(つまり、職務を考え遂行する上でのコアな部分がしっかりできていないということだから)、悩んでいる自分、結局自分と戦ってしまっている自分が嫌いではないし、ある意味まっとうに職務をこなしているということなんじゃないかな(むしろ何ら疑問を持たなくなったらおしまいなんじゃないかとさえ思える)。甘いかもしれないけど。

明日で9カ月を過ぎて10カ月めに突入。