少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

誰かに似てる

日曜日、実質的には今年唯一と言っていいかもしれない神輿担ぎ。そこの神輿の何やら役をやっている神輿仲間のお宅は一軒家、神輿の接待所にもなっていて、知人の奥さんは朝からばたばたと準備に余念がない。お招きいただいたやはり神輿仲間と連名でわずかばかりのお祝いを渡すと、彼はなにやら微妙にモダンな感じもする神棚に供える。

夜、神輿をおさめると、彼の家で宴会。恒例の舟盛りがでっかいテーブルの上にどーん。酒がある席で神輿歴25年の私でも叶わないような超ベテランが3人もいると、とにかく神輿の話題、話題、話題。アンタらはいい年してどうして神輿の話だけでこんなに盛り上がれるのか、と。この数年神輿熱が冷めている私は初めは遠巻きにふーんてな感じで聞いていたが、やっぱりめちゃめちゃ面白くてつい仲間に入って話しだす。ああもっと話したかった。

何だろう。こう、神輿って良くも悪くも江戸っ子の気風が強く作用しているという気がして、民俗への導入という意味で私の中ではすごく意味があって良い体験だったとは思うのだけど、今の私はもうちょっと繊細さを感じられるものにどんどん惹かれていく。参加するのじゃなく見るだけでも。神輿からのそういうシフトは私にとっては必然だという気がするのだけど、周りの人はおそらく誰も理解してはくれないんじゃないかな。

でもそれはそれとして、ここの神輿にはお招きいただける限りこれからもできるだけ参加して、この日を楽しみにして細々と神輿を続けていきたいと思う。十万人単位でギャラリーが集まるような大きなお祭りではない、小さなお祭り。今の私にはこういうところで毎年顔つなぎして年に一度しか会わない方たちと親交を温める方がずっとずっとステキに思えるもの。

ところでその神輿で拍子木を叩いていた方が誰かにすごーく似ているのになかなか思い出せない。顔立ちも特徴ある声もすごく似ていて超有名人なのだ。一緒に参加したエリちゃんに朝、神輿が上がる時にはあの人誰かに似てるよねと話して彼女もうんうん言って、一日中あの人ではないかこの人ではないかと彼女は芸能人の名前を挙げるのだけど、どうも違う。あ、そうだ、と思い出したのは翌日の朝で早速彼女に画像のあるサイトのリンク付きでメールするが、その有名人とは某日本人指揮者で彼女が知る由もない。「似てる!けどさすが文さん、マニアックだね」と返事が来たのはその日の夜で、似てるよりマニアックより私の名前は平仮名でふみなんだけど、知り合って10年、どうしていつも彼女は文と書いてよこすんだろう。でもそれはそれで何だか面白い気もするので違うとはまだ言っていない。