少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

ストレートネック2

前回の話の続き。というか後日談のような話。

今年のお盆の夜はフシギとなつかしい人に立て続けに会う。

ちょっと説明しておくと、私の郷里ではお盆の間、毎夜松明かし(まつあかし)といって松を短く裂いたものを燃やし火を焚く。13日には迎え火、14日15日も火を焚き、16日は送り火。ちなみに7日は七日盆(なのかぼん)、20日は二十日盆(はつかぼん)、たしか1日は朔日盆31日は晦日盆といってこれまたたしか火を焚く。さらに、これは父が亡くなって初めて知ったことだが、初盆の迎え火には松明かしの他に48本のローソクを立て(同本数のお線香で代用可)数を増やして3年目まで続ける。

つまり、そういうわけでお盆の迎え火の夜というのは、その家の松明かしの様子を見ると、少なくともこの3年以内に誰か亡くなったらしいということがわかる仕組みになっている。

今年のお盆は気温が低く雨がしとしとと降り続くようなお天気だったが、そんな雨の降る迎え火の夜、実家の前で松明かしと、前年に叔母と砂浜から取ってきた砂を実家の物置から見つけたたぶん酢だこが入っていた容器に入れたものに88本のお線香を立てた。いや、実を言えば立てたのは15本ほど。88本のお線香すべてに一気に松明かしの炎から火をつけたら燃え上がってしまったのだ。炎を消そうとしたがどうにもならず燃える松の中に捨ててしまう。かろうじて立てることができたのが15本。まあ、この風習については私は初心者みたいなものだし、努力をしたことで許してもらおう、と。

松明かしの炎とやっと立てた15本のお線香をしゃがんでぼんやり眺めていると、傘をさしたロマンスグレーの紳士が現れる。誰か亡くなったのか、と聞くその顔を見ると、見覚えがある。子どもの頃よく見たことのある近所の方だった。

だが。記憶によれば私の小学生当時すでにこの方はこのぐらいの年齢ではなかったか。少し混乱しながら世間話をする。亡くなったのは父で、私は現在は東京に住んでいてお盆のために帰ってきたのだ、と話すと、この界隈で同じ年齢の友だちは誰がいるのか、天気が良かったらクルマでドライブに連れて行ってあげるのに残念だ、と優しい笑みを浮かべて、去っていく。

あとで前回の話に登場したお向かいのお兄さんに聞いたところによると、その方は私が通っていた小学校でまさにその当時教員をなさっていたのだそうで、お兄さんの弟、つまり私の幼なじみのクラスの担任だったらしい。私が小学生の頃すでにおじいちゃんだったじゃん、お年はいくつなんだろう、と話すと、お兄さんは、幽霊だと思ったか、と笑う。

まさか。幽霊だなんて思わなかったけどさ。

話はつづく。