少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

血圧の薬

三波春夫ジャイアント馬場と力士の豊山が好きだった母方の祖母は今にして思うと妙にかわいい仕草をする人で、首をすくめて、舌をちょっと出しながら「てへっ」と、とくに病院からもらってきたパンパンに膨れた薬の袋から血圧の薬、それもいわゆる頓服というヤツを服用するところを私に見つかるとその「てへっ」を毎度毎度して、あの祖母の羞恥の感情というのは何だったのだろう。

会社の健康診断で血圧が高いと言われ、小学校のときの担任から母へのちょっと告げ口みたいなけして良いことが書いてあるわけがないお手紙みたいな、医者に持って行けという封書があとで送られてきて、健康診断から1ヶ月半後に渋々病院へ行くと私の大嫌いな、老化の象徴である血圧の薬というヤツを、やはりパンパンに膨れた袋でもらってきた。ま、パンパンな理由は、血圧というより、だるさを軽減する漢方薬の粉薬と肩こりを軽減する湿布薬なのだが。

人間は生まれたときから一分一秒、間断なく、生存の自己最高記録を更新しながら生きているわけで、その点から言えば自分の肉体や精神の新しい状態、新しい体験を重ねていくことになる。とくに年をとると、老眼しかり、未知の老化というものにまつわる未知の、よく言えば新鮮な体験をしていくことになる。老化に限らず若い頃であったってそうであったには違いないのだけれど、たぶん若い頃はそのへんのことに思いを馳せているヒマなんてなかったのだろう。

あと何年かすると、銭湯の健康体操だか何だかいうヤツの参加年齢に達してしかも健康体操の後には無料で入浴できるという。その年齢で健康体操に行けば、私は最年少で参加することになるわけで、それはそれで何だか楽しそうな気がする。

私より15歳ほど年上の、私をいちばん最初に神輿に誘ってくれた人の老いの姿を目に焼き付ける。焼き付けておかないといけないんじゃないかという強迫観念みたいなものにかられながら、時々お見舞いに行く。今までしてもらったことのお礼に、とかじゃなく、もっと怜悧な私の感情として。