少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

嫁の心得

いまマイブームの言葉は「嫁の心得」。頭の中を嫁の心得、嫁の心得、と、嫁の心得が渦巻く。というか右往左往する。職場の30代の同僚の家にはこの嫁の心得というのがあって、未婚女性であるその同僚のそのお母さんまではこの嫁の心得が受け継がれているのだそうで、お母さんこそ口伝だが叔母さん(伯母さん?)が嫁に来た時にはおじいさんからわざわざ手紙で嫁の心得を説かれたというから、ちょっとこの子の家はもともと武士とかだったんじゃないかしらと思うほどになんだか本格的。最初この同僚から嫁の心得という言葉を聞いた時に私は真っ先に夫婦間の、房中のちょっとエッチなことを想像したのだけど、どうやら倹約とかそういうことらしく、詳しい内容については同僚はまだ知らされていないそう。


うちの母は、いつか私がかわいいお嫁さんを連れて帰って来る日を心待ちにしていたのだと思う。自分が嫁に来た時にうちの祖母からされたみたいに、というか、されたと思っているような嫁いびりをしたくて。いつの日かかわいいお嫁さんをいじめることが生きがいだったに違いない。だが私がこうなってしまって、お婿さんをいじめるんじゃ話がまるっきり違うし、お嫁さんになった私じゃいじめ甲斐がない。

もし家庭内がホントにそういうことになっていたならちょっとした修羅場かもしれないが、私はジョークでも何でもなく心底そう思っていて、まあ実現しなかったからこう呑気に言えるのだろうが母のそういう嫁いびりしたいという気持ちは、それはそれですごく理解できる気がしているし、べつだん母のことを悪く言っているという自覚もない。

津波の3週間後に実家に帰ったとき、まだ認知症が出ていなかった母は私に、形見だと言ってダイヤのネックレスを差し出した。私は、形見なんて縁起でもないのと、カミングアウトした時にいつか自分の着物をくれると言ったことを反故にされたような気がしたのと、そんなに良いものではないがけして安いものでもないと言った母に、そんなふうに見られているのかという(何でもお金に換算して価値判断する人間と思われているのかという)ちょっと怒りの気持ちがわいたのとで「いらない」と言ってしまった。

いや違う。形見なんかより、母との生活、母の記憶だけでもういっぱいなのだ。私にとって母の形見なんて余計なもの。だから、いらない。

でも今となっては、その形見の一件はなんだか後味悪いことだ。後悔もしていないが、死ぬまで残りそうなこころのしこり。これから先、消えていくのか、大きくなってきりきり痛むのか。

母は料理がけして上手ではなかったけど、魚の捌き方を教わりたかった。


同僚には、いつかぜひその嫁の心得を継承して欲しい。そしてその時にはぜひ、私にその全容をこっそり教えて欲しい。この同僚にステキな人が現れて結婚が決まって、お母さんが少し緊張しながらこの子に嫁の心得を話して聞かせる日が来ますように。ま、結婚だけが人生じゃないけどネ。