少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

たましいの尻尾が来なかった家

前回の続きというか、そもそも最初書こうとしていた方の話。

そういうわけで、たましいの尻尾が来なかった家、というか、尻尾がちぎれたままのたましいで高校時代を過ごした家について、これから先どうするつもりなの、と親戚から聞かれるような年齢、状況になってしまったのだ。つまりひとりっ子の私は三十余年東京に住みいまだ独り身、結婚のあてはなく、祖母はとうに他界し父はおととし鬼籍の人となり、母は認知症で長期入院おそらく実家に戻る見込みはない。

震災のあたり、私は、もし両親が死んでしまったらひとりぼっちになり行くあてがなくなるなあ、としきりに考えていた。今にして思えばそれはフシギな話で、東京に来てからというもの震災前までは実家に帰ったことなど数えるほどだったし、ましてや親戚づきあいなんてしたこともなかったし、そもそも人間はどんなに親しい人と暮らしていてもしょせんはひとり、どこにどういう形で住もうがそれは生きている間の仮住まいで、社会とかかわりを持って生きていく、つまり出撃するための前線基地なのだ、という程度に思っていたので、ほんらい実家なんてどうでもよいはずのものだったのだ。ましてや今はネットもあり、人との繋がり方は多様なものだ。

だがひとりぼっちになどならなかった。というか、ひとりぼっちにはさせてもらえなかった。長い間どこでどうしていたのかも知らないはずの私を、なんだか知らないが親戚は妙にやさしく迎えてくれる。何度も東京と郷里を往復するうち、郷里に知り合いはできる。実家でお盆をすれば隣近所の人たちと挨拶だの昔話だのすることになる。それは世間というものが私を絡め取ろうとするための罠なのだとは思うが、その蜘蛛の巣のような罠に身を委ねることは、それはそれで思いの外に心地よい。

土地にはその土地それぞれに記憶が堆積していると、私は妙に信じていて、私の実家の土地にもやはり記憶が積もっていて、そこには私の祖母や両親だったり、私が生まれるずっとずっと前に若くして亡くなった祖父だったり、そういう人たちの記憶が眠っている。そういう土地の上に、少なくとも私が生きている間に私の全く知らない誰かの記憶を重ねるのは、なんだかちょっと忍びない。たましいの尻尾を失ったままでそれもほんの3年間しか暮らさなかった家に、私は愛着など感じてはいないとか、私がどこに住もうといつも此処ではない何処かを希求するだろうということとは全く別な話として、私は実家のある土地を手離したくない。

まあそんなことを言ったところで、この先どうなるかはわからない。わからないし、なるようにしかならないのだろうが、でも何がどうなろうとこの先私の実家を巡って起きる現実は、意外と、今の私が意識しない部分で望んでいることに結局かなり近いんじゃないかという気もして、そういうところが私はけっこう楽天的だ。