少しハニカム構造体

ふみのつれづれ

冬支度

昨日の仕事おわり、明日から遅い夏休み、旅行のために長期休暇をとる上司と二人きりになって、私のいない間しっかりやってくれよ、と言われる。あらためて言われるまでもなく私にとってしっかりやるということはいつもどおりやるというだけのことなだが、そういう言葉を職場内、他の人にはかけていないようなので、まあ言われて悪い気もしない。

そういう私もこの週末に3日ばかり帰郷する。お彼岸というのが仏事としてどういう意味があるのかよくわからないまま、お墓参りに行き3日間というほんの束の間仏壇のあれこれをやり、お寺に行き、そんなことをしに。

叔母はわさわざ帰ってこなくていいと言うが、なんだか帰りたい。罪滅ぼしじゃなく、そんなことをやることに(変な言い方かもしれないが)ちょっとした楽しさを感じながら。はじめはなかなか眠れなかった夜行バスでの仮眠にも、回数をこなすうちにいつの間にかなんだか慣れてしまった。郷里に帰る道のりは、長い長い距離を横に移動しているというより螺旋状に動いている感じ。私はいつもかわらずここにいて、上っているのか降りているのか、東京にいようが郷里にいようが私はかわらずに私だ。若い頃、東京と郷里を行き来することにはなんだかいつもたましいを引きちぎられる感じがして、つらく、気持ち悪い経験だったのに、いったい何が変わって平気になったのか、よくわからない。

おおきな津波があって母が認知症になって父が亡くなって、そんな出来事がなかったら、もしかしたら私はこういう感覚を持ってはいなかったのかもしれない。

次に帰郷するのは年末も押し詰まってからだから、実家に帰ったらスリッパを冬物に交換しておかなきゃ。防寒靴を出しておかなきゃ。年末年始に備えてもう灯油も買っておこうかなあ。そんなことが私の脳内で何の混乱もなく仕事のスケジュールと同居する。東京には月曜日の朝着いて、そのままキャリーバッグを引きずって職場。月に一度、障害者さんたちと一緒にひとつの作業をする日。

スケジュール帳と、ジャンヌ・ダルクあるいはドン・キホーテ

来年のスケジュール帳を買う。色柄ともに今年とまるきり同じ、つまりメーカーと品番が同じもの。地味で、それでいてちょっとオンナっぽいかもしれないカバーの色。

今まで毎年毎年いろんなデザイン、ときにはキャラクターものだったりときにはカバーが別売で中身だけ差し替えるタイプだったり、ときにはバインダータイプだったり、毎年毎年あれこれ買って、毎年毎年途中で飽きてきっちり使い切ることはなかったから、今年スケジュール帳を一冊きっちり使い続けてそれでなおかつ来年も同じものを買ったのは、単にスケジュール帳選びが落ち着いたというだけじゃなくて、結局わたし自身がこの年齢にして落ち着いちゃったということなんじゃないかと思う。それがやっとなのか、とうとうなのか、それはよくわからない。

社会で女性に紛れて生きていく、ちょっと風変わりな、でもどこかでたまーに見かけるかもしれないと言えばそうであるといった程度の変わった女性、として生きていく。

今の仕事をしているおかげでなんとなくわかったことのひとつ。いわゆるGIDトランスジェンダーと言ってもいいのかもしれないが文脈的にやはりGIDということだと思う)、とりもなおさずGID、その中でもMtFのパス問題についての、私なりの現時点での見解。もし狭義のパスと広義のパスという2つの定義があるとしたら、たぶん広義のパスであり、たぶんパスということの真実。そして私が女性として社会適応できているらしいその説明。私の生き方、なおかつ弁明。

今から15年ほど前、インターネットで探し当て、初めて私と同じようなGID当事者(今はこんな言い方をしないのかもしれないが)と知り合い初めて会ったとき、その人はまるでジャンヌダルクのように見えた。プライドと悲壮感のような何か、そしていつも何かと戦っているドン・キホーテでもあった彼女。その彼女から見たら今の私はどう見えるのだろう。

どう見えようが私は私なんだと、今ならやっと言える気がするし、そう言えるようになったのは、スケジュール帳が示す時間の流れ、経過ということだ。良くも悪くも。

傷だらけのローラの人生はいろいろ

お盆に帰郷したとき、従妹と従妹と私の共通の友人、私にとっては初対面の子、という女性ばかり4人で飲んでいて2軒めにカラオケスナックに行く。従妹ともカラオケが初めてなら他の2人とも初めて。別に好きな歌を歌えばいいのだが妙なウケ狙いの気持ちにかられて「ひとり銀恋」をやろうと思い立つ。「銀座の恋の物語」の男性パートと女性パートをひとりて歌うという、まあそれだけのことなのだが。

その銀恋、私が歌おうとしたら、初対面の子が一緒に歌うと言い出し、私が男声、つまり石原裕次郎のパート、その子が女声のパートを歌う。テーブル席で私のとなりに座っていたその子はすでにかなり出来上がっていて、一緒に歌ってからというもの抱きついてきたり、そういう酔い方というだけならキュートでかわいいし素でかわいい乱れ方ができるのはうらやましいとさえ思うのだけど、抱きつかれた私はちょっとイヤだった。

あとで共通の友人が私に言うには、その初対面の子のそういう酔った時の態度は、同性に気を許している証拠で、石原裕次郎のパートをそのまんまのキーで歌ってる私をオンナだと信じて疑っていないということらしい。

私のような人間がオトコが好きかオンナが好きか、というのは自分にとってもおそらく周囲の他人にとっても微妙な問題で、まあそんな話を他人とする機会があるのはほとんど女性となのだけれど、そのうち他人にとってもという場合はつまり、現在戸籍上も周囲の認知の上でもオンナである私がもしもオンナが好きということならば、性欲の矛先が自分に向いてくる可能性だってあるじゃないか、という、非常に現実的な不安ということなんだろうし、それはまあもっともな話だなあと思う。

で、オトコが好きかオンナが好きか、と問われると、正直言うと言葉に窮する。なにしろ元がオトコ、男性の身体が嫌で性転換したくらいなので、男性の身体にもオトコらしさというのか男性性のようなものにも、期待も幻想も、それを欲する欲求みたいなものもあまり抱いていないし時として嫌悪感すら抱いている、というのが正直なところなんだと思う(じゃあ、どうして性転換して性別変更までしたかと問われれば、それは男性と結婚したいとかいう目的のためではない、ということで、そもそも誰にしたってそのへんについて合目的的に性別を与えられて生まれてくるわけではないのだし)。

じゃあオンナが好きかというと、それもよくわからない。女性といると、自分が男性の役割をしなきゃいけないんじゃないかという強迫観念みないなものにかられてなんとも居心地が悪いということが、往々にしてある。

従妹と一緒にいてからがそうだ。郷里に住む従妹が東京に来て、夜、一緒にごはんを食べ、そのあと隅田川べりを夜風にふかれながらすこし散歩する。そんな時、彼女をエスコートしなきゃ、と思う。夜だしもし何かあったら彼女を守らなきゃ、と思いピリピリする。一方で、そんなことを考えている私ってオトコなのかオンナなのか、いったい何なんだ、と思っている。ちょっとオーバーに言うと束の間、私のアイデンティティが混乱して危機に陥る。何で私がエスコートしなきゃいけないのだ、むしろ私がエスコートされたい、誰かエスコートしてくれ、と。ただまあ、郷里で従妹にお盆の買い出しに行った時ちょっと口論してその時の私の言い草はおそらくかなり男性的なのだが、私のアイデンティティは混乱することはなかったので、私がまだ自覚していないだけで何か危機に陥るツボのようなものがあるんだろう。

まあ話を端折るけれど、オトコが好きかオンナが好きか、という話はつまるところ「寝・る・こ・と・が・で・き・る・か」なのだろうが、それはまあ、ブログに書いて公表するような話ではない。救いは、相手がオトコであれオンナであれ、私が一緒にいて居心地のよい他人というものが地球上に存在していてしかもその人は案外近くにいながらまだ巡り会えていないたけで、でもいつかはその人と会えるのだと思っていること、なのかも。いいトシして少女趣味だと言われても。

カラオケの話に戻る。私にはもうひとつ、たまにウケ狙いで歌う西城秀樹の「傷だらけのローラ」があるのだが、こっちを歌えば良かったなあ、とちょっと後悔する。ま、私が思うほど、私がその歌を歌うことに注ぐ熱量ほどにはウケたことがないのだけど。

夏の終わりの蚊は凶暴

どの季節がいちばん好きかと言われれば、私は断然、梅雨時だ。じめじめしていて、植物たちがむわあっと清潔な体温を発散させる。その匂いに包まれると、私はホントは人間ではなく植物に生まれるべきだったんじゃないかと思う。次生まれてくる時は、たとえすぐ踏み潰されて枯れちゃうような雑草でもいいから、植物がいいなあ、と思う。いや、もしかしたら前世は植物だったのかもしれない。

最近ショッキングだった話がひとつあって、それは、ゴキブリに台所洗剤をかけると死んでしまう理由が窒息だと知ったこと。私はてっきり脂分を取られて身動きできなくなる程度のことだろうと、長いこと思っていた。うちの父が病院で亡くなったその直接の死因が窒息死であったことを思い出して、私は金輪際シンクにゴキブリがいても洗剤をかけることだけはしないだろうと思う。

50過ぎて言うのも何だが、人間世界になんだか馴染めない感じ、私がそうである理由のひとつは間違いなく、父の何かを受け継いで、というか引きずっているからだと思う。まわりに合わせてうまくやれていても、仲間に囲まれていくらかの楽しさを享受しているはずなのに、ふとした瞬間なんだか違うという感覚が襲ってきて、私の居場所はここじゃないと思う。ふとした瞬間に訪れるその感覚の方こそが、私の本性なのだと思う。

話は違うが、職場であちこち蚊に刺される。夏の終わりの蚊は凶暴だ。

ぬるいそば

私が東京に出てきていちばん最初に「ああ、都会だなあ」と実感した場所は、実は方南町だった。方南町というのは丸ノ内線中野坂上駅から分かれて、たった3つばかりの駅がある丸ノ内支線のその終点、いわゆる盲腸線というのか、その突端、方南通りと環七の交差点のあたりにある駅だ。当時山手線の中、内側に住んでいて思いっきり大都会な風景を毎日見ていたはずなのに、今にしてみればなんだか不思議な話だが、終点なので線路はホームで途切れ、ただ古めかしい出口が無造作に2つばかり、外に出ればなんだか間延びした都会の風景に環七と方南通りのアンダーパス、そういうところに都市を主張しない余裕みたいなものを見て取ったのではなかったかと思う。

その時私は何をしに都心から方南町なんぞへ来たかというと、普門館吹奏楽の全国大会を聴くためだった。方南町からちょっと歩くと今でもそうだがRとかキリスト教系のSとか、宗教都市のような光景がある。とくにRの施設が立ち並ぶ一帯はちょっと壮観ですらある。

その方南町駅の一方の出口を上がったところに小さい立ち食いそば屋があった。4人も入ると身動きできないような店内についぞ足を踏み入れたことはなかったが、そこを通るたび貼り出されたメニューの中の「ぬるいそば」というのが気になって気になって仕方なかった。ぬるいそばというのは、果たして需要があるものなんだろうか。しかも、熱い、とか、冷たい、とは違って、ぬるくするというのには、味より前に温度だけで作り手の絶妙さが要求されそうで、それだけで難易度がかなり高そうだ。いつだったかある友人にこのぬるいそばの需要を聞いてみたところ、そもそも駅近くの立ち食いそばを食べていく人というのは急いでいるのであり、ぬるいそばには熱い(あったかい)そばと違って冷ましながら食べなくて済むメリットがあるではないか、と言っていたが、私はその意見にあまり説得力を感じなかった。

ぬるいそばはおろかここのそばを全く食べたことはなかったが、この店はよく天ぷらを持ち帰り用としてパック詰めして売っていて、非常に安価だったこともあってよく買って家で食べた。道路側、店の外からすみませんと声をかけるとサッシの引き戸をあけて応対してくれたお姉さんが優しかったのを今でも思い出す。

過去形で書いているわけは、その立ち食いそば屋があった場所がいつの間にか更地になっていたからだ。ぬるいそばの貼り紙とともに私の記憶のなかに長く残るであろう。なんだか偉そうに書いているが、食べたことのない、ぬるいそば。

残像

本当ならばリアス式海岸の入江のおだやかな海を眺めることができたはずのその海沿いの国道は、津波のあと築かれた堤防のせいで景色が台無しになり、きっとそのせいもあって私の言葉数は多い。もし海が見えたら、助手席の私はたとえ今日が小雨まじりの天気だということを割り引いても、車窓を流れる風景に目をやりながらぼんやりするということもできたはずだ。叔母の運転する軽自動車の中、私の近況報告が済むと話はいつの間にか父のことになる。今年のお盆が過ぎた、もうその夜に東京に戻るという日のお昼どきのことだ。前日に叔母が私に美味しい海鮮をごちそうしてくれると言い出し、それもわざわざクルマで30分ぐらいかかるとなり町の店まで行くという。運転しながら、アンタのお父さんは変わった人だったね、と叔母は言い、続けて、亡くなるのが早すぎたね、と言った。私は、うーん、と言葉にならない声を漏らす。入り江をはさんで対岸の方の標高400メートルばかりの山は霧なのか雲なのかすっぽり覆われて、まあそれはそれで良い眺めだなあとその時初めて思う。

人間、その内面というものは誰でも非常に複雑なもので、よい人、なんていう言い方は大変失礼なんじゃないかと思う。それは結局、その人を知らない、その人とその程度にしか関わっていない、その人が本当はどうかは度外視して単にそこに話を帰結させたい、ということを白状しているようなもので、うちの父が亡くなった時に集まった従姉妹たちが口にしたその言葉を、なんだか空々しい気持ちで苛立ちながら聞いていた。

82歳で亡くなったことを普通はけして早すぎたとは言わないのだろうが、父の亡くなり方は叔母の言うとおりだった。脳梗塞で倒れて2週間、父の容体は安定していて、亡くなる前日、医師からそろそろ退院という話とその後のリハビリについての説明があった矢先だった。詳しくは書かないが、まあ、病院のベッドの上の父に不幸な出来事が重なったのが原因という具合で、叔母は叔母なりに、父の死をいまひとつ受け止めきれていないということなんだろう。

父が変わった人であったのは事実で、そういう父が私は子どもの頃は大嫌いで恥ずかしくもあった。でも今にして思えば父はサラリーマンとしてひとつの会社を定年まで勤め上げたし、その稼ぎで小さいながら家も建てたのだから、母という有能な舵取り役、口うるさい足枷があったからこそおそらくできたことだということを付け加えても、小市民的な意味で父は社会人として立派だったわけだ。

このブログの第一の目的は、父のことを書くこと、父の死に決着をつけることだ。三回忌を過ぎてやっと、変わった人であった父を紐解く鍵を見つけたような気がしていて今ならそれができそうだという思いがある。肉体の中のたましい、着ぐるみの中の父の実体のとでも言うべき何か。その実像ではなく残像。

私がやっといてあげるから無理して帰って来なくていいよ、お金だって大変でしょう、と、叔母は言った。8月13日に亡くなった父の三回忌を7月にやり8月はお盆、そして9月はお彼岸の墓参り、仕事のやりくりも金銭も大変なのは百も承知だが、やはり無理をしてでも帰りたいと私は思う。今度の帰郷で決着をつけるなんてことはできないだろうが、決着に少し近づいた分だけちょっと違う気持ちで墓参りができそうだ。

盗んだバイクで走らない

こんなことを書くと私には繊細さのカケラもなく(曲がりなりにも短歌を齧っていたのに)詩人の素質が全くないということを暴露することになりそうなので少し気が引けるのだが、小学校中学校とくに小学生の頃は学校が大好きだった。学校は勉強するところなので勉強も大好き、勉強が好きというより学校が好きだから勉強も好き、そんな感じだった。

ひとりっ子で家にいるとまわりが大人ばかりなのでつまらない、というのが最大の理由だったように思う。朝、もう一刻も早く学校にいきたくて仕方ない。家が学校のすぐ近くだったこともあり、学校に一番乗り(まあきちんと確認したことはないが)とか。そのうち学校に早く来る常連みたいなのがいることを知り一番乗りを競うようになる。一番乗りのライバルは一学年下の女の子だったが、おぬしなかなかやるな、とたぶんお互い思っていた。

早く行って何をするかというと、教室にランドセルを置いてボールを抱え校庭に行く。一番いい場所にドッヂボールのコートを確保するためだ。私は運動オンチだったしけしてドッヂボールが楽しいわけではないのだが、とにかく毎日、雨が降っていなければそんな感じだった(もちろん雨の日もとにかく早く行く)。

4年生のある日、給食を食べていて喉に違和感を覚える。何かが刺さっているようてちくちくして痛い。給食にゆで卵が出たのでこれはきっと卵の殻も一緒に食べちゃったのかなと思う。担任に申し出ると、とにかくすぐ帰っておうちの人に話しすぐ病院に行けという。祖母と病院に行くとすぐ取ってくれ、それは卵の殻ではなく木の棘のようなものだった。

痛みはなくなり家にいると、とにかくたいくつでしょうがない。学校が恋しくてしかたない。学校にまた戻るとちょうど体育館で体育の授業中、縄跳びをやっていて、今日はもう学校に来なくていいんだよという先生の言うことも聞かず大縄跳びを待つ列に加わる(もちろんうまく跳べないのだが)。

余談だが放課後先生がうちに来て、祖母と私の前でとにかく平謝りする。私の喉に刺さっていたのは、給食を作る時に使う大きな木製のへらか何かの切れ端らしい。たしかかかった医療費を学校が負担しますとかいう話になったのだったが、何しろ昔のことなのでおばあちゃんは、けっこうですよ先生、というようなことを笑いながら言う。

私の友だちに高校1年になる息子がいるのだが、ご多分に漏れずギターをやっている。末はプロミュージシャンになりたいという。友だち、つまりその子の父親が、ある時私に相談をもちかける。息子に友だちがいないらしいのが心配なのだという。息子くんに聞けば、同じ学校でまわりにギターやらをやっている子はいるにはいるのだがあまりにレベルが低くてんで相手にならない、友だちを作ってもしょうがない、学校もやめてしまいたい、ということらしい。

私は友だちに言う。たとえばさ、どう考えても尾崎豊には友だちがいなさそうでょ?息子くんは尾崎豊みたいな歌を作るようになるかもしれないじゃん。友だちがたくさんいる子にはその子なりの幸せがあるかもしれないけど、友だちがいない子、学校に馴染めない子にはその子なりの幸せがあるかもしれないじゃん。疎外感を味わうことなしにはなかなか見えない何か、っていうのもあると思うよ、と。

こんなアドバイスが良いのか悪いのかわからないが、自分のことを振り返ってみての今の私の偽らざる気持ち。だって、私は疎外感を味わうことがなかったから、疎外感を感じる感性が鈍くて自分とは何なのかあまり考えずに思春期を過ごしちゃったから、性転換についてもえらい遠回りをしちゃったような気がしているから。ま、だからってべつだん後悔するほどのことでもないのだけど。

盗んだバイクで走らない。私はそういうヤツ。